大人の夏休み日記

大人だって夏休みほしいじゃん?

④「物語は時に人を救う」by著 伊坂幸太郎「SOSの猿」

元々小さい頃から物欲がなかった私。

食欲だけは人一倍あったようで、ご飯の時間になるとものすごい勢いで机をバンバン叩きまくって催促していた子でした。(映像が残っていて見たことがあります。お恥ずかしや)

 

何が欲しい?と聞かれても、実はいつも悩んでしまうんです。

 

むかーしむかしの、子どもの頃、一度、甘やかすのが好きな叔父に

「何が欲しい?なんでも好きなものを買ってあげるよ」

と聞かれた時、兄は当然の如く普段は買ってもらえないおもちゃ(笑)
私は100円そこらのおはじき。

叔父は何度も「本当にそれでいいの?もっとほら、こんなのあるよ?」
と勧めてくれて、当時の私としては、まだ幼くて金銭感覚が育っていなかった事もあったとは思いますが。
正直、今も「高いものを買う事の意味がわからない」という感覚はあります。

なので、欲、と言われれば、知りたい欲が強い。

自分では普通だと思っていたんですが(笑)

「なんで?」「どうして?」

が、多いみたいですね。友達に言われて気がつきました。

「出た!なんでなんで攻撃(笑)」
「あーわかる。なんか私ちゃんなら、ありそう」

なんて言われることが多くて、ああそっかと。
色んなことが腑に落ちました。
例えば

  • 注射を打たれる時は、事前にどんなふうに打ってどうなるかを確認して、打たれる最中もがっつり体に針が刺さるところを見ていたい。
  • 自分と違う考え方の人や、結論を出した人の根底の部分から知りたいので、その人の生い立ちや家庭環境、思考回路を知りたくなる。
  • 三角形の面積の出し方が【底辺×高さ÷2】という公式に納得がいかない。どうしてそうなるのか理由を教えて欲しい。

子どもの頃から、なんでが多くて、勉強はできない子でした

 

きっかけはよく覚えています。
あれは、小2だったかな。

 

クラスで授業を受けていた時に、納得がいかなかったり分からないと
「先生、どうしてですか」
「わかりません」
とよく授業をストップさせちゃうような子でした。
その時に先生に言われた

「あなたのせいで他の人の授業が進みません。なんで、どうしてはやめなさい」

この一言に大変ショックを受け、それ以来、分からないことは放置してしまうようになりました。結果、勉強から逃げるおバカさんになりました。

いや確かに今考えるとめっちゃ迷惑な子ですよね!!(笑)

でも、読書は好きだったんですね。あと映画も。

本は母の影響でした。

母は学生の時バリバリのヤンキー生徒達が、先生達に反抗するために教科書を校庭で燃やしたり、天井にくっつけたりするんで、授業が中断す中、一人静かに読書にふけっていたような人だったらしいです。なんというか、我が母ながら、強い人です。(笑)

父は、映画好きでした。

若かりし頃はアクション映画や派手なものを好んで観ていました。今では感動ものを観てはグスグス泣き、主人公が卑劣な扱いを受けると怒り、感情豊かな(若干面倒臭い)人です。(笑)

 

 

本や映画は、私ではない、どこかの誰かのストーリーへ連れて行ってくれました。そして、私の中の「なんで」「どうして」をその誰かの経験に投影することで、心を豊かにしてくれたんだと思います。

司馬遼太郎
(司馬先生の本は実は読んだことがありません。ごめんなさい。今後挑戦します)
本の中の一節にある言葉、

『例えば、友達が転ぶ。「あぁ痛かったろうな」と感じる気持ちを、そのつど自分の中で作りあげていきさえすればよい』

こういう気持ちを、たくさんの物語が私の中に作り上げてくれたんだろうな、と思います。

あの人にも、この人にも、どの人にも、それぞれの物語がある。
あなたにも、わたしにも。

 

自己否定を繰り返していた際に、私はその「誰かの物語」にとにかく逃げました。

 

生きる防衛本能とでもいうのでしょうか。

自分の物語は、もう疲れ果てていて、向き合えなかったんですね。

今思えば、私にたくさんの人が、自分の物語を話してくれていましたね。
そういうのも、私を救ってくれた、あなたの物語だった、ということです。

そういう身近いにいた皆さんの話してくれた事、世界中の人の自分のエピソード、そういうものが、じんわり私の心に薬のように染み込んで、今に至るということなんでしょう。

 

タイトルでもありましたが、
伊坂幸太郎の本が、大人になってから結構好きで読んでいました。
『SOSの猿』という本も、以前読んでいたはずだったんですが、内容を忘れていて。帰国して本棚からふと手に取り、読み直したわけです。


その一節の中に、

「物語は時に人を救う」

内容的に、この言葉の使われ方はちょっと違いますが、でも、私にはとても刺さりました。

あ、ちなみに、『SOSの猿』の紹介記事は、別記事であげておきます。
興味があったら、ぜひ。

そんなわけで、私はとにかく逃げました。
今となっては、もし同じように辛いことがあったり、苦しいことがあったり、悲しいことがあったり、そういう一人では立っていられないような出来事に遭遇した人に、私として言えることは、

逃げなさい。
戦わなくていい、逃げなさい。

ですね。

9月1日は、子どもの自殺が増えるというのは、もう常識ですね。
男性の自殺者が、女性よりも多いのは、逃げる事ができないからだと聞きました。

そういう出来事は追っかけてきて捕まえようとしたり、どこまでも追い詰めてきたり、結構恐ろしいもんです。

 

が、しかし、逃げようと思えば、案外逃げれるもんです。
(そもそも、逃げるという判断が、当時の私には出来なかったんですけど)

なので、私は物語に救われました。

たくさんの物語を生み出してくれた、作者の方に、感謝。
自分の物語を私に語ってくれた、あなたに、感謝。
逃げまくっている私を、じっと待ってくれていた、両親に、感謝。

で、まず逃げた私がその当時どんな状況だったかといえば、

  • 何かやんなきゃという焦り(まぁ、主に言えば、仕事ですね)のに、やりたい事(欲)が、湧かない
  • 喜怒哀楽が一切ない
  • 些細なことで大泣きする(理由はよくわからない)
  • 食べない(すでに体重が結構落ちてましたがあれからさらに)
  • 寝ない(真っ暗な部屋で時計の針のカチカチ鳴る音を聞いて、気がついたら朝)
  • 人との連絡を一切断つ(最初は連絡してたんですけどね。みんなも気を使ってくれてか、徐々に連絡しなくなり、そのうち誰とも話す気がなくなり…)
  • 気がついたら自分を責めて、自分を消し去りたくなる
  • 音楽が聴けないし、歌えない(あんなに歌うことが好きな私が!笑)
  • 出歩きたくない
  • それまでできていた事が、できなくなる。
  • テレビのワイドショー的な音が嫌、世間の事を知りたくない
  • 音に敏感

まぁ、そんな感じです。
今(更新時)となっては、これも全て解決したかというと、そうではなく。ただ単純に冷静に状況を見れば、そうだったなぁ、と。

続きは、回復に向けて、を別記事で。