大人の夏休み日記

大人だって夏休みほしいじゃん?

江戸時代の教育制度⑦私塾その3『咸宜園』

江戸時代中期~後期のころに開かれた

『咸宜園』(かんぎえん)

 

広瀬淡窓(たんそう)さんという人が開校しました。

(1782年5月22日~1856年11月28年) 74歳没⇒超長生き!(゚д゚)!

 

今の大分に23歳で開いたそうです。若っ!!

彼も儒学者ですが、同時に漢詩でもありました。

 

彼のすごいところは何か。

入学金と申込用紙的なものに必要事項を書けば、

誰でもいつでも入塾できた!!!

すなわち身分など問わなかった!!

 

ということで塾生は80年間で4800人!!

※日本最大の私塾とされています。 

 

 

この人は『教え』よりも、そのシステムの構築がすごい。

  1. 身分を問わない
  2. 遠方から来るこのためにを作った
  3. 女子も入学を認めた(女の子の学習については別記事でまとめますが、これはかなり異例なことです)
  4. 四書五経(儒教経書)だけでなく、数学や天文学、医学も同時に学ぶシステムだった⇒卒業生はいろんな分野で活躍しています
  5. 入学してから無級から九級までの、成績制度を作った(毎月試験を設けた)

 

 

これが当時の日本からすると、どれだけすごいことか、わかりますか?

私個人としては、今の学校システムと同等、もしくはその上をいっていると、あくまで個人的には感じます。

 

だって、誰にでも平等にチャンスを与えて、誰にでも「学びたい意欲」を伸ばす場を与えた。

 

それがどんな人(地方の子、女の子)であろうが、入学金さえ準備すれば。(定期的に支払う学費や寮費などがあったのかは分かりませんが。。。)

 

そして、貧乏人の農村の子どもでも、知恵とやる気と根性があれば、医者にだってなれた。

 

女の子であっても、男性と平等、もしくは上回る賢さを持てるという証明を級制度を設けることによって可能にした。

 

儒学をベースにすることで、人間教育は当然大事にしていたけれども、そのほかの理数系の勉強も取り入れて、日本という国の発展の可能性の幅を広げていた。

 

人間教育+可能性=世の中を牽引する人

 

 を作るシステムだったんじゃないかな、と感動しました。

これまでは、滋賀や京都など、当時でも都会とされていたところだったのが、

大分!

余談ですが、漫画『進撃の巨人』の作者である諫山先生は、大分県出身です。その大分の山々に囲まれた閉鎖的な世界から外へ出たいというところから、あのストーリーの展開が思いついたそうです。それほど、失礼ながら田舎です。

なのに!日本で一番最大の私塾を作り上げ、たくさんのその後の時代を牽引していく人々を育てた淡窓先生は、すごいなぁと。

 さて、次の回で、私塾の説明は、終わりです。

次はかの有名な「松下村塾」by吉田松陰先生です。

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