大人の夏休み日記

大人だって夏休みほしいじゃん?

江戸時代の教育制度⑧私塾その4『松下村塾』ちょっと長め

 

どんなに歴史が苦手な人でも、さすがにこの私塾の名前は

「あー聞いたことあるね」

なんじゃないでしょうか。

私も幕末大好き人間としては、当然知っていますし、その松下村塾出身者もみんな大概知っています。

 

現代の歴史・政治にも大きく影響を及ぼし続けている私塾

松下村塾

 

皆様ご存知、吉田松陰先生

 

…が有名ですが、実は松下村塾そのものの開校は、松陰先生が開いた私塾ではなく、松陰先生の叔父さんがやっていた塾の名を継いで、松陰先生が塾頭になられたそうです。

 

が、とりあえず今回は松陰先生について書きますね。

 

吉田松陰 長州藩(山口県) 武士

(1830年9月30日~1859年11月21日) 長州藩(山口県) 武士

満29歳 没

 

この吉田松陰先生のことは、知っているつもりで知らなかったことがたくさんありました。

そして、私個人、調べていて「思うところ」がたくさんありました。

今回は、ちょっと書くのが潜る作業に似ているかもしれませんね。

吉田松陰という人物の、心に潜る。

何と果てしない、そして、とてつもないことをやろうとしているんだ、私は。(笑)

 

松陰先生が育て上げた人物たちは、その後江戸幕府を倒し、新しい明治という時代を築いていく『時代を牽引していく』人々になりました。

しかし、松陰先生ご自身は、29歳で(30になる年)安政の大獄で斬首刑になります。

 

調べて思ったのは、松陰先生自体が、『天才』『努力家』だったんだろうなぁと。

そして、何より時代を動かす『熱い』お人だったんだろうなぁと。

松陰先生の、情熱と行動と天が与えた才能、そういうものに感化された人々が、時代を動かすために旗を掲げ進んでいったんですね。

 

では。

松陰先生がどんな人だったか。

どうして、尊王攘夷・討幕運動』の思想に至ったのか。

私にはそこまで潜ることはできないと判断しましたので、

ただただ松陰先生の物語を書き記してみようと思います。

 

最初のエピソードとして、松陰先生は、子どものころどんな学習をなさっていたか。

 

子どものころから、お兄さんと畑仕事の傍ら『四書五経』(以前淡窓先生で登場したのを覚えてますか?儒学の教科書みたいなものです。)を声に出して読んだり、夜も仕事をしながら、書を与えてられて本を読んでいたそうです。

 

もともと、武芸には長けておられていたようですね。

 

文武両道。そして、努力家。

 

そしてすごいのは、13歳で長州軍を率い、西洋艦隊撃滅演習を実施したということ。

13歳。

今の中学1年生。

今の私たちには、信じられないほど成熟していたんでしょう。

 

松陰先生が20歳の時、世界で転機が訪れます。

それは『アヘン戦争で清が西洋に大敗』という事実。

松陰先生は、20歳で思うのです。

「このままでは日本は清(現在の中国)の二の舞だ」

 

このままではまずいと思った松陰先生は、九州へ西洋兵学を学びに行きます。

その時仲良くなった宮部鼎蔵(ていぞう)さんと

「今度は東北にも行こうな」

と約束しますが、

その約束の日時に、藩への申請を出すのが間に合わず

(当時は「通行手形」という藩の申請が必要でした)

「約束を守るためだし、仕方ない」

と、脱藩。 

 

色々東北で学んだのはいいのですが、結局江戸に戻ったところで罪に問われて処分を受けます。

 

さて、その翌年、さらなる衝撃が松陰先生を襲います。

出ました。

クニヲアケナサーイ by ペリー at 浦賀(1853年)です。

この時の江戸の人々の衝撃はすごかったでしょうね。

今の私たちだと、例えば宇宙人が空から宇宙船で降りてきて

『%+*!#$%?*+』(=ジョン万次郎的な通訳が訳すと)『チキュウヲアケナサーイ』

とか言われたら。

ギョッ(◎_◎;)

ですね。(笑)

 

じゃあ、松陰先生はどう思ったんでしょうか。

おそらく、こうなる事態を先のアヘン戦争から学んでいた松陰先生は、こう思ったんじゃないでしょうか。

『かかってこいや、やんならやんぞ、でもこのままやったら負けるけどな。

なので、何度か外国へ留学して学んで帰ってこようとトライしますが、すべて失敗。

 

歴史に『もし』は、あり得ませんが、もし松陰先生が外国へ周遊し知識を得て戻ってきていたら、どんな歴史になっていたのでしょうか。。。

 

あれよこれよとトライしているうちに、幕府(当時の政治家)から「こいつほっとくと何しでかすか。。。」と思われ始めます。(そりゃそうだ)

 

で1857年、松下村塾の名を引き継いでようやく先生になられるわけです。

こうして考えると、過去の私塾の先生と比べても、先生として教えていらっしゃったのは、短すぎます。たった2年です。たった2年で、松陰先生に感化されてその後の時代を築いていった人はたくさんいます。

 

松陰先生の最期は、胸が熱くなって書けません。辞世の句なんかを読むと、泣けてきます。

 

ただ、私たちの近代の歴史は、この人の働きと、命がけの行動により築き上げていただいたのでしょう。

 

松陰先生…残念です。若すぎます。

ただあなたの行動力と、その熱意・魂は、次の世代の人々が受け継ぎましたよ。

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