依存症を追いかけ続ける私、その1
前回この記事書いたの覚えていますか?
なんでなんで病がとまらなくて、っていうか、誰に聞いても返ってくる答えは
私の納得いくものではなくて。(聞きまくった人々すみません)
「そんなもんみんなあるでしょ」
「それはむしろ趣味なんじゃない」
ん~(´・ω・`) ちがうの。
ちがうの。
なんかちがう。
でも、ちょっと兆しが見えてきたのは、あるバーでいろんな人たちから話を聞いた時でした。
「社会構造的にそうなんだよ」
そんな、途方もないアンサーが、私の欲しかった答えなのかもしれないなと。
変な話ですが、解決がしたいわけではないんです。
ただ、謎を解いていく過程が私には必要だったわけですね。
で、私には強い味方の担当医がいます。
でも先生はめちゃめちゃ忙しい先生なので、セッションの時間は十分にとってくれますが、いつも急患に呼ばれたりして大変そうなので、質問は絞っていきます。
じゃないと私は延々と質問し続ける生徒、あ間違えた、患者なので。
で、今回は2つの疑問。(後々結果的に3つになる)
で、一つ目が「依存症」
以下は私と先生との会話です。ピンクが私、紫が先生です。
「先生、依存症と診断するのは、どこからがラインですか?」
「というと?」
「わからないんです。本人が依存しているなと思うものは、たくさんあると思います。でもそれをどこから『症』とするのか」
「なるほど」
「本人の意思が働いているうちは依存症じゃないのか。でも周囲がそれを見て異常だと思った時点で依存症なのか。もうその依存するものにハマりすぎて、首が回らない時点なのか…」
「わかりました。答えとしては、3つ目は完全なる依存『症』としていいでしょう。あなたの質問に対する答えは、本人・または周囲が、日常生活に不便・異常・迷惑などを感じた時点で、依存『症』と言います。なので、この世の中は依存症だらけです。」
「(;゚Д゚)そ・・・そんな・・・(自分で聞いたくせにショックを受ける)」
「ただ、依存する対象が、陰と陽に働く場合があります。例えば陽は、スポーツや筋トレなど。これらは特に問題視する必要ないですよね。『テニス依存症』なんて、聞いたこともないでしょ?これも依存の一つではあります。」
「ということは、陰に働くものというのが、いわゆるやばい『依存症』、要は異常かどうかを本人または周囲が感じるということですね?」
「ええ、そういうことです。そもそも、依存症が始まる要因が何かわかりますか?」
「え、それは・・・要はその一瞬のアドレナリン的なものですか?」
「えぇ。でもそれは依存しているものを体験した結果で得るものです。そもそもの要因は、わかりますか?」
「・・・(´・ω・`)なんでしょう・・・わかりません。」
「簡単に言いましょう。何かに依存する人はぽっかり心に穴が開いているんです」
「・・・というと?」
「彼ら(依存症になる人)はその穴を別の何かで埋めているだけなんです。以前あなたに教えた愛着の形成、覚えていますか?」
「幼児期に形成される、あの?」
「はい。『症』と判定しても良い方々は、そこに問題があることが多いです」
「では、そこを解決すれば問題は解決しますか?」
「はい、依存症は治ります。が、問題は、依存症患者さんは基本的に自分が依存しているということを認識していても、聞く耳がない人が多いです。」
「どういう意味ですか?」
「治したい、日常生活に問題がある、または周囲が困っている、ということでここ(病院)にきます。がしかし、『治したい』と『治るための努力』は、別の話です」
↑別記事(その4)であげます
「彼らは治したいと思って来ているのに?」
「はい。まず第一に、自分が依存していることを認める。ここで躓く人が多い。」
(↑別記事2であげます)
「そして次にその依存から脱却する、これはとてつもない努力と我慢と周囲のサポートが必要です」
「(;゚Д゚)・・・ということは・・・」
「そうです。治りますが、治せない場合もあるんです」
まだまだ会話は続きますが、まとめますと
- 依存は陰と陽に働き、陰に働いた場合、危険
- 依存『症』の判定は、本人・または周囲が、異常だと感じた時点で判定される
- 依存症になりがちな人は愛着形成に問題がある
- 依存症の根幹治療はできる
- 治療はできるが、本人の強い意思が働かない場合治せない
ということで、依存症の定義と治療についてをまとめました。
※あくまで私の担当精神科医の見解と認識しておいてください。