薹が立つ(とうがたつ)
庭に父が植えた大根が生えております。
『薹が立つから早く食べないと』
しきりにそういう父でした。
私は、薹?とう?って?
そんな、薹が立った大根を
ふろふき大根にして、食べました。
口の中になんとも不快な芯というか、筋がたくさん残り、不味くはないのですが、ごっくんと飲み込むのに「ん〜」という感じです。
覚えたての『薹が立つ』という言葉を使いたくて、「この大根薹が立ってるね〜」って、母に言うと
「人も薹が立つって言うからね」
と。
辞書で調べましたら、
このように
人生の盛りを過ぎた人の事を言うそうです。
が、しかし、んー。
母が言いたかったのは、そう言うことではなかったようで、
私が感じた事も、同じです。
人生を生き続けるうちに柔らかさを失って筋が残ったように、考えを頑なにしてしまうこと
なのかなぁと。
最新のこと、考え方、そういうことではなく、
誰かの意見を聞き入れる『耳と心』は、どんなに年をとっても無くしたくないなと。
薹が立つ、をそう受け取った私でした。