『親』ってものについて考えてみよう。
はじめに言うならば、私は子どもの立場でしかないので、
成人して大人歴のだいぶある大人という視点で『親』を考えてみます。
まず、私のブログに引っかかってくださった方の中に、この記事が引っかかってる方もいるみたいです。
これは、大人になってまだ気がついていない『貴方』に向けて書いた記事です。今もうすでに『自分の親がおかしかった』と気がついている貴方は、それでいいと思うのです。
問題は、そこから先だと思うんです。
以前の記事でも書いていますが、親は選べない。
これは生まれた環境が選べないどうしようもないことだと思うんですね。
ある人から叱られました。
私が
「私は恵まれた環境だったと思います。大学にも行かせてもらえて、やりたい事を応援してもらえて」
と言ったところ、
「それが恵まれてるかどうかなんて、自分の物差しで考えとるやないか。それが幸せか恵まれているのか、大学に行かせてもらえなかった人が不幸なのか、そんなもんはその人にしかわからん」
と言われました。
たしかに。
生まれた境遇が、その人にとってどうかなんて、他人が判断するものでも、比べるものでもない、と思うんですね。
で、も、人を妬んだり、過去を振り切れなかったり、それは人間だもの。ありえます。
問題は、その変えられない何かをどう受け止めてどう生きていくか、選ぶのは自分次第、ということ。
今の私を見つけてくれたある人が言ってくれた言葉を、以前の記事でもう一度貼りますね。
生き方は選べる。
いつまでも
「〇〇のせい」
にしていたら、そこから進めない。
あ、いや
最初はいいと思うんです。
コンチクショー根性で( ´∀`)笑
で、ある程度のデトックス(笑)が終わったら、それから前進したらいいのかなぁと。
じゃあ、貴方はどうする?
どう生きていく?
と。
私だって、いまだに親と揉めますし、正直、親(の言うこと)が全てだとは思っていません。笑
なんでかって言えば、自分がどう生きるかを『責任転嫁』したくないから。
「親がこう言ったから」なんて、いい大人が言わないとは思いますが。(笑)
うっかりそう言いそうになった時期も過去にはあったので、今後は、自分の人生、楽しく、そして親にも自分にも誇れるような、そんな生き方を選ぼうと。
次に、今、親である人、これから親になる人、について。
先ほども述べましたが、私は子どもの立場にしかなったことがないので、正直言えば、「親の心子知らず」を読んで字のごとく、だとは思うんです。
でも、周囲を見渡してみて、『あーこれは親子関係が歪だな』と思うのは
親が子の人生を『自分の人生と重ねてしまっている家庭』は、子をダメにしてしまうなと。
親子であろうが、あくまで別人なのに、どちらかがどちらかに依存しているパターンは、ダメになってしまうなぁと。
例えば、虐待の例でもそうですが、我が子を知らぬ間に傷つけている親は、おそらく自分の中に抱えている何かを子どもにぶつけてしまっていて、それを受けた子どもがまた知らぬ間にそう言う精神的な傷を抱えてしまう。
親も、親一年生なので、親のなり方なんて知らないわけですから、間違いだって犯すし、失敗だっていっぱいしていくはずです。
子どもは、(今は親の考察中ですが、親を変えようとは思ってないので、子ども側の立場からできるアプローチ)そんな親から離れたり、逃げたり、時には突き放したり、無視したり、自分の楽しいと思う事を存分にやればいいのだと思うんです。
それを応援してくれない親なら、別に金銭面(必要最低限)的な支援以外は必要ないし(キツイ言い方。笑)理解を求めようとしなくいてもいいし。
結局は、我が子であっても他人を思い通りにしようとしたって、思い通りにいかないのが、人なんですもの。
それに、親もそういう生き方(我が子をコントロールしようとする生き方)をすれば、後で痛い目を見ると思います。
自分が老いた時に、やっと。
自分が弱った時に、やっと。
ああ、なんであの時、あの子の話を聞いてあげなかったんだろう。
ああ、どうして自分は、我が子に見放されたんだろう。
そこで改めて関係を改善するなり、そのまま放置するなり。
自分が子どもを持った時には、親にされて嫌だったことはしない、自分は自分という人間であって、親とは別の生き物であるということを認識していれば、全く問題ない、と、私は思うんです。
親子の関係は、この世で一番めんどくさくて、煩わしくて、尊くて、本当に愛おしいものだと思います。
綺麗事だけじゃない。
親子ってそういう関係なんでしょう。
だから、どうか、そこで止まらず、貴方の人生を生きてください。
届くかどうかわからないけど、書き留めておきたい気持ちを書いてみました。